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具象的なWeb2.0

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ソーシャル・ブラウザへ (>>この記事のみを表示)

現在のインターネットは図書館だ。だが今後は「つながりの総体」になるだろう。

と、新ブラウザ「フロック」の開発者(元Mozilla)は言う。それはMSがかつて夢見ていた姿(パスポートとMSNエクスプローラでMSNという空間を生きる人々)やAOLが現実的に見ていた姿(AOLブラウザでインターネットとは別のAOLという空間を生きていた人々)とどのように違うのか僕には何とも言えないのだけど、ブラウザの今後の姿を考える上で一つの材料となる考え方だろう。


フロックの売りは「ソーシャル・ブラウザー」。つまり、写真管理・共有サイトの『Flickr』、ブログサービスの『テクノラティ』、ブックマーク共有サイトの『del.icio.us』などの人気ウェブサービスが快適に利用できるということだ。さまざまな対象をドラッグして取り出せるWYSIWYG(ウィジウィグ)ブログツールにも対応している。上記のような各サイトでユーザーアカウントを自動的に探し出し、認証することさえ可能にする。

期待を集める次世代ブラウザー『フロック』

そう、読んでもらえれば一瞬で分かるように、フロックは(少なくとも英語版が出た段階では)僕らの食指を少しも動かさない。僕らにはFlickrもテクノラティもdel.icio.usも関係ない。

多くの人がFirefoxをマルチ・プラットフォームのブラウザーとして使うようになり(中略)これまでにないブラウジングが可能になった。しかし、別個に開発され、頻繁にアップデートされる拡張機能を一緒にすると、Firefoxの動作が不安定になる恐れもある。

 フロックを実際にテストしたボリス・マン氏は、「最良の部分を集めるアプローチをとっている。(中略)ツールの優れた特質がレンダリングのレベルでもFirefoxと密接に結びついている」と高く評価する。

期待を集める次世代ブラウザー『フロック』

「ソーシャル・ブラウザー」はパッケージングを求める。それはFirefoxがパイオニアとなった「機能拡張が可能なブラウザ」とは、むしろ真逆にある存在であり、Flickrもテクノラティもdel.icio.usも使わない僕らにはフロックは関係ない。

そして、それでも、プラグインベースの拡張が「動作が不安定になる恐れ」のあるものであるが故に。


AOLブラウザがAOLユーザーの囲い込みの道具であったように、MSNエクスプローラーがMSのパスポートによるウェブ支配の道具であったように、フロックは対応サービスとの提携によって利益をあげるだろう。そこに「オープンソース」「フリーソフト」の精神が存在しているのかは僕には分からないが、きっとそういう精神的な問題は「金の動かし方」なんてこととは別の次元の問題なんだ。もしくは、それはきっとユーザーにとっては本質的に、その精神さえが本質的にどうでもいいように、どうでもいいことなんだ。例えば、そうだ、無料で放送されているテレビがお台場名所を建てさせているように。


Sleipnir2はプラグインの骨幹仕様を一般ユーザーには公開せず、骨幹プラグインを自社内のみ(?)で作成する方針をとる模様だ。

プラグインの仕様や開発者向けインターフェイスは非公開で、今後一般公開するかどうかは検討中です。公開すると誰もがプログラムの深い部分に触れて、動作を変更できるようになるため、セキュリティ上好ましくない部分があります。また、一度公開したインターフェイスを変更するとなるとすでに公開されているプラグインの開発者に迷惑がかかりますが、一方で我々が自由に変更できないと「Sleipnir」自体の開発効率が落ちる可能性がある

「Sleipnir」開発者 柏木泰幸氏インタビュー

引用元はこの後「本体とユーザー製プラグインの橋渡しを行うプラグインを公開することで〜」と続く。


僕らにはFlickrもテクノラティもdel.icio.usも関係ない。だが僕らのマシンにはmixi専用ブラウザがインストールされていて、僕らの興味はyopzaにくすぐられているんだ。

外国産、アダルト画像/動画収集専用ブラウザ。国内ではここまで割り切ったものは作れないだろう。100以上のカテゴリからお好きなものを選ぶと、ダウンロード可能な動画がサムネイル表示される。その場で再生も、クリック一発で保存しておくことも出来る。「一応」、通常のサイトもタブブラウザとして閲覧出来る。

タブブラウザ推奨委員会yopza紹介ページ


2ちゃんねるブラウザ?それは独自レンダリングエンジンが無ければ使うに耐えないから、C/Pによるだろう。特定画像掲示板専用ブラウザあたりなら良いんじゃないか?

ブラウザが本当に「ソーシャル・ブラウザー」に向かうなら、Firefoxの2ちゃんねるブラウズ拡張は、mixi用サイドバーパネルは、その変化の過渡期に現れた拡張機能に過ぎない。「ブラウザ」の時代である現代においてはとても面白く便利なのだけど、「ソーシャル・ブラウザー」は、もっと、そう、骨幹的なものだろう。


そして、Sleipnir2・Firefox・Opera・・・の検索ウインドウ〜Amazon検索クエリも、だ。

ユーザーのためのweb2.0講座 (>>この記事のみを表示)

「Web2.0」という言葉が市民権を得た訳だが、この言葉は常にサービス提供側からの視点で語られる。

Webをプラットフォームとして位置づけ、オープン志向・ユーザー基点・ネットワークの外部性といったインターネット本来の特性を活かす思想に則って提供されるサービスの次世代フレームワーク

近江商人 JINBLOG内「Web2.0 とは 7つの分類と要素MAP

といった説明が典型的であり、別にこの文章はそうした姿勢に対する批判とかでは全くなく、サービス提供側の視点がなければ提供される側の視点など存在しないのは、当たり前だ。当たり前だが、この記事では「別の視点」即ち「ユーザーサイドから見たWeb2.0」を、僕の妄想でお届けします(ぇ)。


・・・と、いった内容(からFlock使いこなしまで)をネットランナー1月号で書いているのでなるべくかぶらないように書くのだが、現在のインターネットは「Web1.5」「Web2.0」の間か、或いは両方にある。何故書き方が曖昧なのかは最後まで読んでもらえれば明確になる、はず。

□Web1.0

かつてのインターネットは「Web1.0」だった。IEという画一的なブラウザによる画一的なブラウジングが「インターネット」であり、即ち、IE上におけるアンカークリックのみが「ネットサーフィン」だった。

インターネットは図書館に、ウェブサイトは一つ一つの本に近い。充実したネットサーフィン、充実したサイトの閲覧は良い本を読むことと同じであり、異なるのは「ハイパーリンク」という概念のみである。一つ一つの「コンテンツ」はそれぞれユニークな「URL」を持ち、あるコンテンツから別のコンテンツへの移動、ハイパーリンクのみがインターネットを図書館と異なる存在にしている。

そう、インターネットの進化とは、「Web*」とは(少なくともユーザーサイドからの視点では)、「コンテンツ」同士の繋がりによって定義される。あるコンテンツ(ウェブページ)はWeb1.0の時代から、他のコンテンツ(他のウェブページ)との関連性を持っている。ただしそれが一方通行の「ハイパーリンク」でありそれ以外でないことが「Web1.0」なのだ。

□Web1.5

既存のコミュニティ・・・おそらくそれは2ちゃんねる・mixi・ラグナロクに代表される・・・は「Web1.5」である。Web1.0におけるコンテンツの繋がりは脆弱であるが(例えばハイパーリンクのみで不特定多数が議論を繰り広げることは可能か?)2ちゃんねるスレッドを使えばどんな議論も、どんな馴れ合いも可能である。即ち、2ちゃんねるのあるスレッドとは、1000個の書き込み・・・コンテンツが位置する集合であり、それぞれの書き込みは、それが書き込みであるという時点で、同じスレッドの他の書き込みと「関連性」を有している(その関連性、集合性こそがスレッドを形成している)。

ただし、こうしたユーザー同士のコミュニケーションはサービスを提供する側の規定する範囲でのみ行われ、その中での馴れ合いはあくまでサービス管理者の管理下にある。既存のブラウザを使ってサイトごとに異なるインターフェイスを使い分ける、或いは、サイトごとに異なるブラウザ・サービス専用クライアントを使ってアクセスする空間性こそがその象徴であり、我々は2ちゃんねるにアクセスするためにJaneを、ラグナロクにアクセスするために専用クライアントを起動するし、ブラウザを使って掲示板を開くにしたって、現在開いているスレッドが2ちゃんねるなのかふたばなのかを常に理解している。

Web1.5は単純にWeb1.0の進化形である訳ではなく、ある意味において退化形であり、つまり、別の言い方をすれば、Web2.0への進化の止まり木である。

2ちゃんねるの「>>1」という書き込みはハイパーリンクの持つオーバーボーダー性を縮小させ、コンテンツ同士の関連性を狭い範囲に閉じこめた(従って我々はWeb1.5空間の2ちゃんねるにおいても「ハイパーリンク」というWeb1.0時代の遺産を用いてサービスのボーダーを超える必要がある)。

さらに、コンテンツの一部はユニークなIDを所有しない。極論を行えば、MMORPGにおけるあるキャラクターの発言はURLを持たない(それは多くの場合他のコンテンツ・・・他のキャラクターの発言・・・に対する関連性すら有しておらず、ユーザーは文脈によってのみ関連性を確認している)。mixi日記に対するコメントはユニークなIDを所有しない(それはユニークなIDを持つ「日記」に対する言及性のみを持っている)。

□blog

blogは、あるとらえ方において「Web1.5以上Web2.0未満」と定義されうる。あるblogサービスを使って運営されているblogサイトのある記事は、別のblogサービスを使って運営されている別のblogサイトの別の記事に対する言及性を、Web1.0の時代からの遺産「ハイパーリンク」によって実現しているが、その逆も存在する。トラックバック。blogは「トラックバック」というオーバーボーダー性・双方向性においてのみ、「Web*」の「*」を高めることに成功した。LivedoorBlogの記事と「はてな」の記事はトラックバックにおいて繋がる(止まり木であったWeb1.5時代の修正)し、記事Aから記事Bへのハイパーリンクは「A→B」という関連性を生み、AからBへのトラックバックは「B→A」という関連性を生む(双方向的な関連性)。

□Web2.0

ただし、ハイパーリンクとトラックバックで、全てのコンテンツ同士の関連性を定義することはできない(例えばそこには2ちゃんねるスレッドが有する集合性は存在しないため、blogによる議論の末端は枝分かれし当サイトのような有象無象だけが存在することになる)し、そもそも、「web2.0」という世界におけるコンテンツ同士の関連性の中に「ハイパーリンク」「トラックバック」が含まれるかどうかも、別の問題だ。

従って、この問題こそが、「blogはWeb1.75かWeb2.0の先取りか」という問題に直結する。


コンテンツとは、一人一人のユーザーが行う「発言」と言い換えられるだろう。

この言い換えも「Web*」の「*」によって進化するものであり、例えばWeb1.0においては「ウェブサイト(ウェブページ)」であったし、(ハイパーリンクとトラックバックで関連性を持ち合う)blogにおいては「ウェブページ(記事)」であるのだが、究極的には、web2.0の世界においては「発言」と言い換えられるだろう。

インターネット中の何処かで行われる「発言」の関連性のみが「特定CDの評価」や「また大阪かで1000を目指す」や「映画DVDISOハッシュ一覧」や「Web2.0とは何なのか」などを作り上げるが、その前提は、全てのコンテンツがそれぞれユニークなIDを所有し、関連性を持ち合うことだ。例えば「タグ管理とディレクトリ管理」といった区分けは「ユニークなID」という前提の上でしか成立しないし、「如何にして全てのコンテンツにユニークなIDを与えるか」という問題より先に「コンテンツの管理方法」を語るなら、それはサービス提供側の論理に過ぎない(「自分らサービスが管理下コンテンツをどのように管理するか」)。

※参考:タグ管理は誰のための技術か

現在のGoogleイメージ検索は世界中のウェブページ上で公開されている画像を一覧検索することを可能にしているが、この検索結果の中にはFlickrで公開されている画像・某画像掲示板で公開されている画像・Winny上で流れている画像は含まれない。現在のGoogle検索は世界中のウェブページ上で公開されている情報を一覧検索することを可能にしているが、この検索結果の中には僕と君のMSNメッセンジャーでの会話内容は(その公開を僕らが望むかどうか以前の問題で)含まれないし、君のラグナロク上での発言も含まれない。


即ち、既存の検索エンジンは、いずれインターネット上の(とりあえず、発言者が共有を望まないコンテンツを除いた)「全ての」コンテンツを検索可能とするし、それこそが「Web2.0」である。この世界においてはmixiユーザーと2ちゃんねらーが「また大阪か」で1000を目指し、/.ユーザーとあやしい住人がWeb2.0の本質を議論する。

この世界においてコンテンツが所有するユニークなIDが、検索エンジンが検索結果とするモノがURLであるなら、トラックバックはWeb2.0の姿の一端である可能性がある(それは必要条件に過ぎないが)。

□ソーシャル・ブラウザ

そして、僕らがその世界・・・「Web2.0」・・・にアクセスするために用いるクライアントソフトが、「ソーシャル・ブラウザ」と呼ばれるモノ(或いはウェブアプリケーションなのだが、この話は外す)の目指す姿だ。

参考:ソーシャル・ブラウザへ

ソーシャル・ブラウザは、ユーザーに現在アクセスしているコンテンツの所在地(サービス提供者)を意識させてはいけない。ユーザーが入力したキーワードでFlickrとふたばから画像を検索しごちゃ混ぜに(例えば「スコア順」に)サムネイル表示させねばならない(ただしここで重要な点は、画像は画像単体では存在せず、必ずそれを勧めるユーザーの声とのセットでコンテンツたり得るということだ、それがコメントであれタギングであれレーティングであれ)し、mixiユーザーと2ちゃんねらーが「また大阪か」で1000を目指す光景を、読みやすくユーザーに提示しなければならない(そしてそこへの、あやしい住人である君の参加をスムーズに行わせなければならない)。


と、以上、これが僕の妄想です!一応色々文献は読んだ上で書いているつもりだが、そして正直具体例とかその実現性とかに関して文句を言われても「いやそれ言われても」としか返せないですが、もうちょい本質的な部分に関しては、僕の妄想がおかしかったら反論とか中傷とか頂ければ真摯に受け止めます。

SBMとは何で何処へ向かうか (>>この記事のみを表示)

ウェブアプリケーションの発展はウェブアプリケーションの存在を否定する。Microsoftの支配する世界は簡単には崩壊しないし、Microsoftを崩壊させる勢力はMicrosoftに代わるローカルソフトウェア覇者しかあり得ない。


「ソーシャル・ブックマーク(SBM)」とは、2ちゃんねるにおけるエロ画像直URL貼り付けスレをデータベース化しウェブアプリケーションとして動かすサービス。貼り付けられるURLと一言紹介がデータベース化されて「皆が勧める良アダルトサイト情報」「あるサイトに関する皆の評価、キーワード」「皆が知らなかった新興サイト情報を何度も紹介してくれる神」「その神が新たに見つけてきたサイト」などをウェブアプリケーションによって効率的に検索することができるのだ。


それは暴力だ、と、あるアダルトサイト管理人は言う

だって、サイト管理者である僕らは自分のサイトがそんな場所で、勝手な紹介文とともに公衆の目に晒されることを、必ずしも望んでいない。自分のサイトが晒されていることを気付きもしない管理人だっているだろう。何が「胸はAだけど顔はC」だよ!そんな紹介の仕方をされて、書き込み削除依頼が必ずしも通るか分からないなんて酷すぎる!

或いは。

僕らサイト管理者は自分のサイトで、数百kを消費して、その「晒し」に反論する権利を持っている。奴らが短いキーワードや単文でしか再反論できないのに対し。・・・そう、勝ちの見えた勝負で、「暴力」を行使する権利は僕らにある。「うちのサイトで載せてる画像を顔Cとか紹介してた人がいますが」という書き出しで、長文の中にユーモアと隠喩と攻撃性を込めた記事を書き始めよう。


多分、それは「インターネット」という代物が登場した当初から、或いはウェブ掲示板という代物(その発言者は、ソーシャル・ブックマークユーザーと同様、必ずしもウェブサイト管理者と同等の発言責任を有していない)が登場した当初から、或いは井戸という代物(その端での会議は「世界に公開されていない」という点において前二つと異なる)が登場した当初から繰り返されてきた論理で、ソーシャル・ブックマークが新たに提示した議題、新たに提示した世界なんかじゃない。


2ちゃんねるにおけるエロ画像直URL貼り付けスレの進化形がソーシャル・ブックマークというウェブアプリケーションであるなら、その次の段階は見えているし、その姿の一端は既に僕らに提示されている。何故面白いウェブページを発見しただけでブラウザのブックマークからソーシャル・ブックマークサイトを開きログインしてブラウザのformを用いて登録しなければならない?何故他人のブックマークしたサイトを閲覧するためにソーシャル・ブックマークサイトにログインしてブラウザウインドウ上でハイパーリンクを辿ってリストを探し出し、JavaScriptだかで実装されたサブメニュー開閉を使わなければならない(もしくは、サブメニュー開閉すらない一覧検索性の低いリストページから自分の興味にあうページを探さなければならない)?

そう、次の段階とは、ソーシャル・ブックマークを機能として取り込んだブラウザだ。

ウェブサービスがデータベースなら、日記サイトがRSSなら、僕らにはクライアントソフトがあればいい。RSSリーダー単体でblogのbodyとextendを読むことが先進的な日記読者の姿で、「ウェブブラウザ」なんてのは、そのスタイルを認めようとしない年寄りの日記を、datファイルの直読みを認めようとしない年寄りが運営する掲示板を読むために仕方なく起動するアプリケーションなんだ。そしてRSSリーダーはいずれJaneと合体して、単体で2ちゃんねるdatファイルと日記を閲覧することのできるアプリケーションへと進化を遂げる。


ただいまMicrosoft。僕はインターネットユーザーの90%と同じアプリケーションを選びその使い方を90%の人間に相談する必要はなかったけど、Web2.0がマンパワーを求めるから、インターネットユーザーの90%のパワーは5%のそれより、他の全てのそれより強いから、僕はいずれ君に頼らないといけなくなるよ。君がインターネットユーザーの90%のマシンを繋いで、ブックマークというデータベースを繋げば、きっとそれがdel.icio.usと「はてな」と、「アルファクリッパー」達の夢見ていた世界なんだ。


例えば大学とか企業とかいうLAN環境において、サーバーマシンに入れられるのはアプリケーションではなくアプリケーション用データで、クライアントマシンは自分のアプリケーションからサーバー上のデータにアクセスしている。それはライセンスの問題でもあるけど、それだけじゃない。或いは、例えば、ヘビーな2ちゃんねるユーザーが壷よりJaneを選ぶことが多いのは。

Web2.0とSBMのネタバレ (>>この記事のみを表示)

つまり、こういうことなんじゃないか?


Web2.0: ブラウザのお気に入り機能の進化の果て

↑ 集団知/データベースのシームレス化

Web1.7: ソーシャルブックマーク

↑ 集団知/ウェブアプリケーションとデータベース化

Web1.5: エロ画像URL貼り付け掲示板

↓ 信用にたり得る個人

Web1.0: 個人ニュースサイト


Web2.0: 検索機能の進化の果て

↑ 集団知/データベースのシームレス化

Web1.7: Wikipedia

↑ 集団知/ウェブアプリケーションとデータベース化

Web1.5: 2ちゃんねるマニアック板のスレ

↓ 信用にたり得る個人

web1.0: 通常の辞典サイト


当サイトの「ユーザーのためのweb2.0講座」と「SBMとは何で何処へ向かうか」に関する補足でありWikipediaの登録制への移行が象徴する物が本質であるはずの図。

タグ管理は誰のための技術か (>>この記事のみを表示)

「ディレクトリ管理とタグ管理」というテーマで以下のような説明を読んだ記憶がある。

例えばブラウザのお気に入りはディレクトリ管理だが、多数の人間でお気に入りサイト/ページ情報を共有する場合、ディレクトリ管理ではある一つのサイト/ページが保存される場所がユーザーによって異なってしまう。しかしタグ管理ならある一つのサイト/ページに付加されるタグは多くの人間にとって同じであり、共有が容易なのである。

結果論としてはなかなかに機能する文章で、でもそれが結果論であることを理解していない人間は、「タグ」などというものを語るべきではない。


例えばMP3ファイルにはID3タグというものがあって、ファイル自体に、その音源のタイトル/アーティスト/アルバム名などの情報を埋め込むことが出来る。HDD内にMP3ファイルが散乱していても、ファイル名が様々な形式(時には「Track1.mp3」みたいに曲名すら分からないファイル名)であったとしても、ID3タグベースでジャンル > アーティスト > アルバム > トラックタイトルみたいな階層管理で楽曲を選択させよう。・・・と、いうのが「メディアプレイヤーライブラリ」という代物で、Winamp2.91↑、iTunes、foobar2000など現在では主要メディアプレイヤーソフトの大半が搭載している機能だ。

この考え方が何故秀逸か、別の言い方をすれば何故市民権を得たかと言えば、CD→MP3のエンコードを行うソフトが数あれど、従ってファイル名命名規則が数あれど、ID3タグに埋め込む情報の形式(例えば「アルバム名にはアルバム名を埋め込む」という)が統一されており、故に個人が様々なエンコーダーを乗り換えながら、或いは、他のユーザーと交換を繰り返しながらHDD内に無造作に溜めたMP3ファイルが、統一されたフォーマットに収まり、その統一されたフォーマットを使って直感的なファイル選択を行わせることを可能としているからだ。


OEにしてもThunderbirdにしてもBecky!にしても、既存のメーラーは受信メールをディレクトリ構造で管理している。例えば「メールマガジン」というフォルダの中に「ちゃんねるぼっくすメールマガジン」というフォルダがあって、差出人「dempa2ch@freeml.com」からのメールはそのフォルダに自動振り分けされる、といったように。

しかしメールマガジンの場合はそれで十分でも、個人からのメールになると「ディレクトリ構造」という管理方法は使い勝手に問題がある。だって、例えば大学の同級生でありサークル仲間でもある小学校時代からの友人から届いたバイト関連のメールは、何処に分類されればいいんだ?

ブラウザメールサービスGMailが秀逸なのは、「タグ(GMail用語としてはラベル)」によるメール管理を導入した点だ。「大学同級生」とか「バイト関連」みたいなタグを、それぞれのタグが自動付加される条件(振り分け条件)と共に前もって作成しておけば、受信したメールには自動的にタグが(時には複数)付加される(全ての条件と合致しないメールならタグは一個も付加されない)。そもそもにおいて人間関係をディレクトリ管理するには無理がある(例えば中学から大学まで一緒の友人を何処に分類するのか?)・・・故に僕は例えば携帯電話アドレス帳のグループ設定はタグに向かうべきだと思ったりする

※参考:携帯がタグに向かえばいいのに

・・・し、「差出人」以外の、例えば「件名」、例えば「添付ファイルの有無」といった要素をも考慮すればディレクトリ管理には完全なる限界があって、その限界を超えるための手段として「タグ」という新しい管理方法は秀逸だった。


メールヘッダは「From」「Subject」など統一されたフォーマットに収まる。その「統一されたフォーマット」に対する上位階層としてオートマチックに付加されるタギングが、GMailのメール管理のキモだ。単に「アドレス帳内の個人にその人からのメールがぶら下がる」というだけでは不便だし、届いたメール一通一通に手動でタグを割り当てる必要があるのでは面倒すぎる。

例えばそれはメディアライブラリ型のプレイヤーにおけるスマートプレイリスト(Winamp用語だと「SmartView」)なんかと同じ考え方で、「再生頻度の高いファイル」「最近追加されたファイル」「評価が☆5なファイル」「2005年リリースなファイル」「ジャンルがAlternativeなファイル」といった様々な条件で楽曲を探すことができることが、メディアライブラリ型のプレイヤーソフト最大の利点だろう。


ソーシャルブラウザFlockはお気に入りをタグ管理させる点が特徴的で、従ってお気に入りサイト/ページはディレクトリ構造を持たない。並列に、様々なタグが(時には一つも、時には複数)付加されたウェブページURL/タイトルが並ぶ。

で、ある特定のタグが付加されたページだけを抽出表示させることができるので、例えば「お気に入りサイトの中でニュースを扱うサイトを一覧表示」とか「2ちゃんねる関連サイトを一覧表示」とか「テクノ絡みのサイトを一覧表示」とかさせることが可能なのだ。


一方。

例えばディレクトリ構造でのお気に入り管理とは、右のようなやり方だ。フォルダ分けを行ってサイト/ページを登録していく。例えば特定のソフトについて調べ物をしている間は当該フォルダを開きっぱなしにして、見つけたページを次々登録していけば、上の画像で言うところの「AdBlock」というフォルダに様々な解説ページが追加されていくだろう。

で、Flockにおけるお気に入り追加方法とは右画像。登録するサイト(ウェブページ)に対して付加するタグを、「A,B,C,...」の要領でキーボード入力していく。ディレクトリ管理で言うところの「とりあえず特定フォルダを開いておいてサイト/ページを次々とそこに登録していく」という概念が存在しないので追加の度にグダグダとキーボードを叩く必要がある訳だ。


圧倒的に面倒なFlockのお気に入り追加方法を「(現時点でも十分)便利だ」と言う人間がいる。その理由は明確なのだが、その人間は「タグ」などというものを語るべきではない。


理由とは、Flockのお気に入り管理がソーシャル・ブックマークサービスdel.icio.us同期されていることだ。

※参考:ソーシャル・ブラウザへ

ブラウザ上でformを用いてウェブページをブックマークするdel.icio.usは、右のような二段階を経て登録作業を行わせている。

  1. ブラウザform上でウェブページのURLを入力し「save」をクリック
  2. 次のページでform上にdescription(必須)とtagsを入力し「save」をクリック

つまるところ、Flockでのお気に入り追加はdel.icio.usを通常のブラウザで使った場合のブックマーキングより楽で便利であり、故にFlockのお気に入り追加は「便利」なのだそうだ。


もちろん、Flockは今後のバージョンアップによって使い勝手を高めるだろう。例えば、ウェブページをお気に入りに追加する場合に、他のユーザーがそのページに対して付加しているタグがデフォで付加されれば手動登録の必要が無くなる。

例えばブラウザのお気に入りはディレクトリ管理だが、多数の人間でお気に入りサイト/ページ情報を共有する場合、ディレクトリ管理ではある一つのサイト/ページが保存される場所がユーザーによって異なってしまう。しかしタグ管理ならある一つのサイト/ページに付加されるタグは多くの人間にとって同じであり、共有が容易なのである。

そしてそれは、全ての人間がウェブページを「同じ」方式で管理するべきである、という意見、ディレクトリ管理に対する不満の一つとしてのファッショに他ならない。そう、例えばYahoo!ディレクトリ検索のディレクトリ構造と同じ構造で全てのユーザーがサイトを管理すれば、MP3ファイルのタギングと同じように全てのユーザーがサイトを管理すれば、「ブックマークの共有」はウェブページに関する(del.icio.usのような)タギングを求めない。では、果たして、「(del.icio.usのような)タギング」を求めたのは、誰なんだ?


「タグ管理」という概念が面白いのは、「ディレクトリ管理」という、一辺倒の管理方法に対して第二の選択肢を提示したからなのか、「ディレクトリ管理」というWeb1.0時代の発明品を過去の物としようとしているからなのか、どっちだい?

※参考:ユーザーのためのweb2.0講座


例えば、僕が既存のお気に入りに対して持っている不満とは、AdBlockについて書いてある、今月見つけて紙媒体で書くとき参考にしようと思っているTips記事を

  • オンラインソフト > インターネット > ブラウザ > Firefox > 拡張 > AdBlock
  • 時系列の気になるページクリップ > 2005年12月
  • 紙媒体用資料 > 2006年02月号

の三つのディレクトリに登録しなければならないことであり、テクノに関するニュースを載せるblogサイトを

  • ニュースサイト > 特定テーマニュース
  • カルチャー > 音楽 > テクノ

の二つのディレクトリに登録しなければならないことであって、それ以上ではない。

そして、君の場合は、どうだい?

αClipperClipsははてブより面白い (>>この記事のみを表示)

お休みします、と書いたんですが、別の件でHDD内探してたら以前書いて未公開だった文章が出てきたので、この記事を最後に2月後半〜3月頭までお休みです。


AlphaClipperClipsは、はてブ本体よりも面白い。何故なら、並列の情報を「視点」をもってピックアップしているからだ。そして「面白い」視点がAlphaClipperClipsしか存在しないことが、はてブの現時点での限界だ。

1/27追記

この記事の最後でもう一度、もう少し具体的な追記を行うが、ここでいう「面白い」とは「AlphaClipperのClips」という視点が例えば僕や君にとって有用か否かとは無関係である。


ソーシャル・ブックマーク(SBM)は「ユーザーがあるページに対し情報を付加する」という行為・・・その「情報」・・・を並列に捉えウェブアプリケーション上で処理するネットサービス。過去にも指摘したが、このサービスとは、例えばエロ画像URL貼り付け掲示板が「掲示板上でのコミュニケーション」として行っていたことをデータベース+ウェブアプリケーションで行わせるものであり、或いは「理想的に機能すると個人ニュースサイトを食う」代物でもある(孫ニュースサイトの集合をウェブアプリケーションで動かすイメージ)。

はてなブックマークには「最近の人気エントリー」というページがあって、登録したユーザーが多いページを一覧表示で眺めることができる。その一覧は「マンパワー」という言葉を信じるならば「今面白いページ」であって、ここまでは問題がない。


問題とは、ページの分類にある。例えば僕はセキュリティやらオンラインソフトやらのネタを求め、或いはテクノやら映画やらのネタを求め、それは必ずしも全ての「はてブ」ユーザーが求める情報ではない。従って「視点」が、つまり「ある視点に沿ったページ」が、その分類が必要となる。

はてブは一応「読書」「音楽」といった分類を用意しているけどそんなことはどうでもいい。だろう?だってそれはディレクトリ管理に頼ったWeb1.0的な方法論だからだ。


はてブは、分類を行うための「タグ」というシステムを用意している。例えばこのページに対して「ネット」「SBM」「はてな」「死ねばいいのに」などの「タグ」が付加され、はてブユーザーは「ネット」などの「タグ」を元にしてこのページを見つけることができる。はてブは特定タグが付けられたページを一覧表示させることができるしRSSも配信されているので、僕は「セキュリティ」「オンラインソフト」といったタグが付けられたページを探せばいい。


・・・と、ここまでが現状のはてな。そもそもはてブを知っている人にとっては長すぎて知らない人にとっては足りなすぎる説明だけど、まぁこんな感じだ。


はてブのRSSをリーダーに登録しようかと思ったことがあったんだ。

  • タグ「フリーソフト」
  • タグ「freesoft」
  • タグ「ツール」
  • タグ「windows」

とかのRSSを登録しようとしてて諦めた(※1)。


そろそろ一般化させておこう。「タグ」が有効に機能するための条件は二つ。

  • タグが自動的に割り当てられる
  • タグを対象としたスマートサーチが可能である

この二条件を満たさないシステムは機能しない。例えばディレクトリ管理をリプレイスしないし「Web2.0」という時代の一端を僕らに見せてくれはしない。


「タグが自動的に割り当てられる」は、マンパワーを期待する世界(例えばはてな)においては以下のようにも言い換えられる。

「タグが、俺が知らない間に自動的に割り当てられている。」

1/27追記

即ち「マンパワーによって、タグが、俺が知らない間に、他のユーザーによって(=自動的に)割り当てられている」。

タギングという行為自体に楽しみを見出す「タギング・ブックマーカー」が100人に一人いれば、100万ユーザーの中には1万人、1000万ユーザーの中には10万人いる。だから、それはそれで構わない。

非はてなユーザーに説明すると長くなるし、正直この囲みで書く内容は「はてブ」のコメントを巡るエトセトラを知らない人には通じないと思うのだけど、はてブは「タグ」の他に「コメント」をウェブページに付加することが可能で、例えばこのページに対して「こいつはマジでタギングの魅力を分かってないので死ねばいいのに」という「コメント」を付けることも可能であり、僕は「はてブ」がコメントからタグを抽出しない理由がよく分からない。

「100人に一人」の「タギング・ブックマーカー」を増やすための手っ取り早い方法論は、はてブをネットウォッチ掲示板化させることであり、別にこれは提案とかいう偉そうなものではなく現時点で既にそうなっているのに、そのコメントを「無価値な情報」と見なす理由がよく分からない。・・・そう、ウェブアプリケーションが利用するデータベースでない時点で、残念ながら現時点のはてブコメントは無価値だ。

以前どこで読んだのか忘れてしまったが「日本のインターネットは『2ちゃんねる』というゴールへ向かおうとすることから逃れられない(※2)」。おそらく2ちゃんねるはゴールではなくて、我々はその先にある未来を「Web2.0」とか呼んでいるはずなのだけど(何故なら、2ちゃんねるもまた「30人に一人が書き込む」世界であり、それに過ぎないからだ)、2ちゃんねる未満のインターネットは2ちゃんねる(ないしその近郊)を「中間点」とすることからは逃れられないはずであり、変な言い方をすれば、はてなブックマークはこの意味において、現時点で他のサービスよりも「いい線いってる」はずなんだ。

「コメント」は「ウェブページ本文」と同様に「そのページの内容」を示している。「ページを読んだ人間がわざわざタグを設定する」なんてのは、そして、せっかく書き込まれたコメントを無視するなんてのは、非常に「古い」方法論だ。このページに対して付加された「こいつはマジでタギングの魅力を分かってないので死ねばいいのに」という「コメント」は価値を持っている。ウェブアプリケーションがアクセスするデータベースに入れるだけの価値を、他のユーザーがこのページを探すための検索条件となるべき価値を持っている。

ただ、現時点でも「タギング・ブックマーカー」は少なからず存在するので、この段落最初に戻るとそれは特に構わない。

※1※2は要素である。何の要素かと言えば「このようにはてブはdel.icio.usを十分なローカライズ(例えば2ちゃんねる化から逃れられない日本へのローカライズ)無しにパクった三流サービスです」という論理を組み立てるための、だ。ただ、それはこの記事の主旨ではないし僕の意図でもない。


そして、一度書いた文章をもう一度載せておく。

例えばMP3ファイルにはID3タグというものがあって、ファイル自体に、その音源のタイトル/アーティスト/アルバム名などの情報を埋め込むことが出来る。

(中略)

メールヘッダは「From」「Subject」など統一されたフォーマットに収まる。その「統一されたフォーマット」に対する上位階層としてオートマチックに付加されるタギングが、GMailのメール管理のキモだ。単に「アドレス帳内の個人にその人からのメールがぶら下がる」というだけでは不便だし、届いたメール一通一通に手動でタグを割り当てる必要があるのでは面倒すぎる。

例えばそれはメディアライブラリ型のプレイヤーにおけるスマートプレイリスト(Winamp用語だと「SmartView」)なんかと同じ考え方で、「再生頻度の高いファイル」「最近追加されたファイル」「評価が☆5なファイル」「2005年リリースなファイル」「ジャンルが Alternativeなファイル」といった様々な条件で楽曲を探すことができることが、メディアライブラリ型のプレイヤーソフト最大の利点だろう。

タグ管理は誰のための技術かより

残念ながら、はてブの提示するシステム(ブックマークされたページを探すシステム)は「スマートプレイリスト以前」だ。つまり、「セキュリティ」「security」「セキュ」といったタグを一つずつ検索しなければ、僕はセキュリティ系で今盛り上がっているページを発見できない。

タグを対象としたスマートサーチが可能である

言い換えれば、タグとは「スマートサーチが検索対象とする情報」であり、それ自体が検索キーであるシステムは、現時点の「最新技術」よりも一段階低い(古い)。

  • 再生頻度の高いファイル
  • 最近追加されたファイル
  • 評価が☆5なファイル-
  • 2005年リリースなファイル

こうした「スマートサーチ」が並列な存在であるように

  • タグ「セキュリティ」「security」「セキュ」のいずれかが付加されたページ
  • タグ「オンラインソフト」「フリーソフト」「tool」のいずれかが付加され「Mac」が付加されていないページ
  • タグは不問で100人以上がブックマークしたページ
  • タグも合計人数も不問だけど「新しいページを何度も見つけてくれる人(AlphaClipper)」が何人かブックマークしたページ

といった「スマートサーチ」が、並列な存在だ。タグとは「スマートサーチが検索対象とする情報」であり、スマートサーチよりも一段階低い階層に存在する。


AlphaClipperClipsは、はてブ本体よりも面白い。何故なら、現時点において「はてブ」に関して行うことができる、唯一の「スマートサーチ」だからだ。(そしてその「唯一の」がタグと関係のない視点であるということは、この文章の前半と無関係ではないはずだ。)


はてなは、「タギング・ブックマーカー」と「それにぶら下がるROM(他人のタグを元にして注目ページ発見ツールとしてSBMを利用する人)」という構図を成立させるに至っていない。

「タギング・ブックマーカー」の比率を増やすためのシステムは、先に書いたように不要なのかもしれない。(ただ、いずれにしても現時点のはてブアクティブユーザー数をもって「はてブは機能している」と言える人間は、少なくともブラウザブックマークやOSやファイラーの話をすべきではない。例えばSleipnir2は結構前に200万ダウンロード。話のレベル、桁が違いすぎる。)

でも、とりあえず、少なくとも「それにぶら下がるROM」がスマートサーチを行うためのシステムを、はてブは構築するに至っていない。だから、はてブはつまらなくて、AlphaClipperClipsは、それが唯一の「スマートサーチ」ではないけど、はてブより一段階上の階層にあって、現時点のはてブより一段階上にあるべき並列な「スマートサーチ」の一つとして、面白い。

1/27追記

ここでいう「面白い」とは「AlphaClipperのClips」という視点が例えば僕や君にとって有用か否かとは無関係である。ただ少なくともあのサービスの運営者にとっては「有用」であったのだろうし、それだけでいい。ただ、その階層にある検索方法(のことをこの記事では「スマートサーチ」と呼んでいる)の存在が、そして「はてブ」周辺で唯一その階層に到達したAlphaClipperClipsというサービスの存在が(例えば「その並列にある選択肢の登場を予感させてくれるから」「そうした選択肢を用いた明日のブラウジングを想像させてくれるから」)、面白い。

Web2.0はWebを求めない (>>この記事のみを表示)

Web2.0の限界とは、Webであることだ。広義のWeb2.0は「Webであること」を求めていなくて、この矛盾故にWeb2.0はつまらない。


・・・正直今月死にそうなんですが「HDDフォーマット中に時間が空いた」ということでこの記事だけアップします。次回は来月になりそうです・・・。


少し前からNokiaの携帯とOutlookでスケジュールを同期させている。

  1. 定期的な予定をOutlook上でスケジュール登録
  2. 打ち合わせとかメールで決まっていく予定もOutlookで登録
  3. 出先で急に決まったりする予定はその場で携帯で編集
  4. デスクトップにはYahoo!WidgetのウィジェットでOutlookの「本日の予定」を表示

はっきり言って、これは便利だ。


ただし限界がある。

  • ネットワークを経由せずUSB経由で自宅PC←→携帯電話間で同期を行うのみであるため、例えば出先でPCの前に座っていても「データベース」へのアクセスに携帯電話を使う必要がある
  • あくまで扱うデータが「個人の予定」であり、グループウェア的なデータの共有が不可能である

以上二点が「このシステムの仕組み自体の限界性(仕組み自体を変えないと解決不能な問題点)」で

  • 天気予報のように上位から降りてくるデータの組み込みが不可能である

これがNokia&Outlookの限界性(Outlookなどツールの機能追加で解決可能な問題点)で

  • 「中央」がないため同期が差分になる

これが「特徴(良いか悪いか一概には判断できない)」、かな。


iPodムックを書いたときiPodにもOutlookスケジュール(あとOE電話帳とか)を表示する機能があることを知って、僕は不思議で仕方がなかった。何故編集のできない手帳を持ち歩かないといけないんだろう、と。その余分な機能を削ることで定価が10円でも下がるなら「損した」としか言いようがないけど、まぁ、とりあえずムックではそこらへんの機能は完全無視することにした。


GoogleCalenderをべた褒めするITMediaの記事より引用。

Google CalendarがWeb2.0的にスゴイのはAPIが公開されているから便利ツールができること。

Google CalendarがもっとWeb2.0なのは、RSSでスケジュールを全世界に向けて配信できることだ。

Google CalendarがはげしくWeb2.0である2つの理由

では、何故、GoogleCalenderは「Web」でなければならないんだ?

別の言い方をすれば、何故携帯版Googleマップはiアプリの地図ソフトであってはならないんだ?あれだけ優秀なデータベースを持っているのに、Ajaxの動かないブラウザを積んだデバイス、つまり携帯電話を前にしたGoogleスタッフの思考は、何故「なら昔のMapionみたいにリンククリックで一画面ずつスクロールするウェブページ」に向かったんだ?


Web2.0の唱えた本質は、「データはネットワークを超えて流せる代物である」という、この一点に収束する。

・・・この上で、Web2.0は「中央」を配置する、いわばNapster的なネットワークであるので、Winnyはある意味「Web3.0を先取りした存在」であったのかもしれない、のだがとりあえずこの議論(=例えば「個人のスケジュールを個人のデバイス間で同期させる」「スケジュールを他のユーザと同期させる」といった「流れ」において「中央」が必要か?という議論)は、今は排除する。

「Web3.0」という言葉を使ってみたが、おそらく少し後には議論の中心はここにシフトしている。GoogleCalenderがITMediaの言うように素晴らしいもので、それに見合ったポジション(シェアとかそういう意味)を手に入れるなら、GoogleCalenderサーバーのトラブルは世界恐慌を引き起こす。「データの独裁」とかいう以前に、もしくはそれと同時に、ね。

・・・ただ、まだ考えもまとまっていないのでとりあえず保留。

データはネットワークを超えて流せる代物であるから、例えばふと入ったネットカフェのマシンからスケジュールを編集できるブラウザツール、Ajaxを使ったGoogleCalenderのインターフェイスは優秀だ。その瞬間においては。

でも、そこで終わったから、GoogleCalenderは昼休みにレストランで取り付けたデートの約束を、君が職場マシンの前に座るまで「データベース」に組み込ませない。営業先の会社で決まった連絡事項を、帰りに公園でノートパソコンを開くまで「グループ」に通知させない。ITMediaの記事でも紹介されてるGoogle Calendar Quick Add Firefox Extensionは、たしかに時代が動いていることを感じさせてくれて、かつ時代は「動いている」最中であるということを感じさせる。つまり、何故これはFirefoxの、というかPC用ブラウザの拡張機能でなければならないのだろう。


APIが生む物、RSSが生む物、は、「Webであること」を求めていない。データはネットワークを超えて流せる代物であるから、僕らには、携帯電話や冷蔵庫からデータベースにアクセスする資格、ネットワークから携帯電話や冷蔵庫にデータを流させる資格がある。APIとは「アクセスの方法」という門戸を開く手段の一つであり、RSSとは「データの通知」を構造的に行う手段の一つであり、では、「Web」というのは、何だ?

何がブログの炎上を生むのか (>>この記事のみを表示)

「多数」とは正規分布における中央であることを、人類は数千年かけて証明してきた。人間は、ウェブページは、平等だけど、平等じゃない。Googleウェブ検索が素晴らしいのは、GoogleがWeb2.0の先端を走っているのは、未来を作ろうとしているのは、PageRankによってウェブページを、平等に、差別化しているからだ。「匿名でしか物を言えないなんて〜」とか「嘘を嘘と〜」とか、そんな台詞を吐かなかったからだ。二つの台詞は等しく古く、故にある意味で「噛み合う」訳だが、僕らはそんな場所に止まる理由を持っていない。或いは、持っているのなら、止めればいい。


ヤフオクのユーザー評価はAmazonレビューより一つ上のレイヤーに存在する。Amazonレビューの「参考になりましたか?」は数字でしかないが、ヤフオクで「悪い」が一つ付いた出品者を発見した僕らは、その評価者がタダのクレーマーであることを発見できるし、その「悪い」を脳内で無効化することができる。そして、Googleウェブ検索は、この作業を人間の脳に行わせないという意味においてヤフオクより更に一つ上のレイヤーに存在する。


社会は、「多数」というもの扱い方を、差別化によって実現する、そのシステムを作ってきた。仕事帰りにアルコール入れて部下相手に偉そうに吐く台詞は、隣のテーブルに座っている他人からの反論を、コロラド州で農業を営むボブさん34歳からの反論を、想定していない。突然飲み屋に入ってきたテレビマンに「実に興味深いお話なので明日の夜のニュースで喋ってくれませんか?」と名刺を渡されたら酔いも覚める、だろう?

重み付けの問題だ。既存の社会は、君らが大嫌いなメディアは、それでも長い時間をかけて、このシステムを、成熟させてきた。・・・これは「そのシステムが完璧である」「あった」「現在も過去と同様に機能している」などなど、一切の行間を含まない。


世界は、インターネット回線の普及とマシンスペックの向上を先に手に入れた。世界に配備されたシステムは、その向上速度に追いつくことができていない。 追いつこうとしているけど、追いつけていない。

YouTubeにアップされる動画の95%は見るに堪えないクソで、でも適当にウェブをうろついている君が適当にピックアップして見ているYouTube動画がほぼ全て上位数%内であるという、その点においては、システムは現代に追いついている。

YouTubeが過去のウェブサービスより一歩進んだ理由の一つは、Flashプレイヤーを他サイトに埋め込むことができるという点にある。閲覧回数やレーティングによる動画の格付けという、それ自体は使い古された手法だが、例えば動画が10000hit/dayなブログに貼られることによって、その動画の閲覧回数は一気に増える。100hit/dayなブログに貼られることによってもある程度は増える。即ち、YouTubeは、動画紹介サイトを、「サイト管理人によるオススメ」の強さを、そのサイトのアクセス数や、その動画の紹介のされ方などによって差別化している、とも言える。

でも、その他の、多くの点において。


Googleウェブ検索における現在の「自動車」検索結果は日産→トヨタ→SUZUKIであるが、これはGoogle社員の意志ではない。「マンパワー」とかいうキーワードは、ここで出てくる台詞であり、多数決主義を意味しないし、例えば人間愛とか、そういう概念とは全く関係がない。「マン」も「ウェブページ」も同じだ。「人類は等しく平等である」という台詞は、PageRankの否定(「純粋な被リンク数のみで順位付けを行うべき」或いは「順位という概念をやめてランダムな順番で表示すべき」)でなく肯定や改善のために、PageRankでなくGoogle八分への否定のために使われるべきものであり、Google八分は、現在のGoogleが「追いついていない」点を非常に分かりやすく語っている。

人間など、人間の愛や思想など、ウェブページに埋め込まれた一つのハイパーリンクと同じ重みしか持っていない。そして、だからこそ、僕は無責任に、その社会的意味とか、そういうレイヤーとは無関係に、何かを、誰かを愛することができる。だって、僕は、当たり前だけど、神じゃなく、タダの人間だから。


そう、Googleの検索順位とは、そのシステムが意志を持っているという擬人化的な表現の上で語るなら、人間より上位のレイヤーに位置する存在の意志、つまり、神の意志だ。未来を作ることとは、この意味において神の創出に他ならない。いつか僕らの前に降り立つ全知全能なる「神」は、何らかの方法で、時代を、自動車会社の序列を、面白動画を、世論を、語るだろう。・・・ただし、まぁ、あれか、普通に書くか。「2ちゃんねる/ネット右翼うぜぇ」系の人向けに書いておくと、その未来が以前と、例えば朝日新聞が国内シェアNo1であるところの「以前」と等しい保証はないし、等しい必要性も、異なる必要性もない。そんなことは、君とも、もちろん僕とも、あらゆるタダの人間と、そのレイヤーと、何の関係もない。疑うなら、今すぐに、Googleを「日産に金貰ってるのか?」と問い詰めればいい。「靖国参拝への賛成/反対」「Google『自動車』検索におけるトヨタ/日産の検索順位関係」は同じレイヤーに位置する。あらゆる行間を、含んでいると思って貰って構わない。


だから、もし君がブログの炎上を嘆くなら、或いは2ちゃんねるの「酷い」書き込みが力を持つことを嘆くなら、書き込みを行った匿名のネットユーザーを批判すること自体、それ自体が間違っている。彼らは悪くない。君が野球中継を見ながらリビングで「また凡退かよ!もう次は代打だって!」という台詞を吐く権利を有するのと同様に、全ての人間は平等に、平等に差別化されるコンテンツを発信する権利を持っている。「氏ね」という書き込みは、決して、それが書き込みであるという時点で、新聞の社説に掲載される編集部員の文章と同等な、そんな存在となるのではない。

もしも、「あってはならない」ブログの炎上があったのなら、悪いのは、未成熟なシステムであり、不完全な神だ。そして、どちらかといえば、悪いのは、そんな未成熟なシステムを自らの意志で選んだ/未成熟なシステムを止まり木に選びながら「未成熟なシステムを運用するためのサムシング」を持っていなかった、人間だ。或いは、君が嘘を嘘と見抜かなくてはならない理由は。

Web2.0を腐らせたもの (>>この記事のみを表示)

割と骨幹となる部分で誤解を招く表記があった感に襲われたので7/24に追記を行いました。全文表示ページの、この部分と同じ囲みです。

あの頃と比べて、今の時代に欠けている物など何一つ存在しない。ただし、未来と比べて、現代に欠けている物は数え切れない程存在する。


テクノロジーは十分に発達した、というのは明確に誤解だ。ここらへんにおいて「最近の携帯電話は高機能すぎて昔は良かった」というタイプの人間とは、僕は根本的な部分において永遠に分かり合えないだろうと思う訳だけど、現代のテクノロジーはあるべき姿に対して、まぁ数%以下の発展度でしかなく、人類はいつまで雨の中を歩くために傘なんて物を使わなくてはならないのか、僕は自分事ながら不憫で仕方がない。


最近の携帯電話はPメールの時代から機能的な意味での進化を遂げ、ただし演算速度の進化速度が追いついていないためキーレスポンスの面で退化し、インターフェイスの洗練度も機能面の進化速度に追いついていない。ただ、それだけの、ことだ。


「Web2.0」という言葉がギーク層に一度受け入れられた理由の一つは、それが「十分な発達を遂げた未来」という共通の像を示す言葉だったからだ、と、僕は解釈している。現代が「数%程度」の、ゴミのような時代であったとしても、僕らは60年代終盤に「2001年宇宙の旅」を見た(人の中でSF映画そのものを憎んでいる人以外)、あるいは作った人々が、HALを見ていた程度に、十分に発達した未来を、見ている。それは価値観・各専門分野への知識・思考回路など各個人によって異なる揺れ幅を持った上でも、歴史上常に(「最近の○○は高機能すぎて」と言わない人の間で)そうであったように、ある程度狭いレンジに必然的に収まる「像」「共同幻想」であり、「Web2.0」という言葉は、少なくとも最初、それを示していた。はずだった。GoogleがWeb2.0の旗手である理由は、数%に過ぎない現代をコンマいくつでも、正しい方向性に向かって進める意図/意図を具現化する行動において、他の誰よりも確固たる存在だという点であり、言ってしまえば絶対量(Googleを含む全てが「ニアリーイコール0である」という点において等しい)の問題ではなく、角度の問題であった。はずだった。


1600x1200とかいうモニター解像度とCore2DuoのCPUは、明確に不十分だ。A3のPDFを見開き2P表示することすらできず(それをすると印刷時には読めるはずの文字が読めなくなる)、見開き20Pくらいを視点移動で眺めることなど夢のまた夢だ。紙なら当たり前のようにできている「ざーっと斜め読みする」「パラパラめくる」という面において現代のモニター/PC処理速度はゴミで、僕ら紙媒体のライターは結局PDFを紙に印刷して校正作業を行うことになる。理由は単純だ。12000x9000の丸めて持ち運べる携帯ディスプレイに見開き20P分ほどのPDFを表示し、瞬時に拡大縮小/スクロールを行うことが不可能だからだ。現代のテクノロジーが、ゴミだからだ。


ウェブサイトの生成するRSSとRSSリーダーがあれば新聞はもはや不要だ。と、言ってしまった。現代に存在するウェブサービスが素晴らしく、それこそが「あるべき姿」だと、言ってしまった。

それこそが、「未来」という共同幻想を曇らせた犯人だ。

※7/24追記

ここの記述に問題がある気がしてきた。「『自分にとって』新聞はもはや不要」と思うのはもちろん勝手です。収集する情報の種類やライフスタイルなど、個々人によって異なる条件次第で、その結論は出てくるでしょう。新聞もRSSリーダーもどちらも「不完全」であり、それでもある時代に生まれてきた僕らは止まり木を選ばなければならない以上。ここで書いている「新聞はもはや不要」は、「『この世界に』『自分と違う貴方にとって』新聞はもはや不要」の意味です。あと「言ってしまった」「思うのは」と動詞を使い分けてるのは無意味じゃないんだけど、これはとりあえずこの記事では省略。

……そして本音を言うとRSSリーダーは後述するような「ブレ」がかなり小さい技術(だと僕は思っている)なので、この記事で挙げるべき例として微妙に不適切なんですが一応このままで……。つまり、後述するような「ブレ」はあったって、「素晴らしき完全」でなくたって、その技術は「面白い」んだけど、それを、と。

だって、つまり、現代のテクノロジーはゴミだから。そこに「あるべき姿」なんて、見ることは不可能だから。「新聞はもはや不要」ならば、RSSリーダーは新聞以上の斜め読み性能とパラパラめくり性能と、あと、深夜にマシンの駆動音が鳴り響くのを嫌うけど朝は忙しいというサラリーマンにとっての情報収集性能を持っていなければならなくて、そんなことを現代のテクノロジーに期待するのは完全に不可能だから。


あの頃と比べて、今の時代に欠けている物など何一つ存在しない。ただし、未来と比べて、現代に欠けている物は数え切れない程存在する。だから僕らは、「最近の携帯電話は高機能すぎて〜」と言うか、もしくはいつか辿り着けるはずの頂上を目指して、様々な角度で、山を登っていくしかない。頂上は、共同幻想として、ある狭いレンジの中に存在するはずで、だ。

即ち、「Googleウェブ検索」のような、メイン登山路1合目手前にあることを、まぁ多分大半の人間は疑わないであろう極僅かな例外を除き、現代のテクノロジーはほぼ全て(「登る角度は無作為に決まっている」という条件下における確率的な問題から言っても)メイン登山路から外れた場所に存在するはずなのに、だ。


現代に、「面白い」テクノロジーは数多く存在する。角度のブレが0でないにしたって、「面白い」テクノロジーは。

だから、逆の言い方をすれば、「停滞」「下山」以外の行為は全て「面白い」し、「メイン登山路から出てはならない」と言うならば、この現代に存在するあらゆる物を、99%ほど破壊しなければならない。だろう?

たとえ89度ほどブレていたって、少しでも山を登れるものは「(少しは)面白い」し、この現代に生まれてしまった僕らが見ている未来は、人によってそれほど異なる物でもなく、「Web2.0」とかいう言葉を、かつて君が信じていたならば、それは、たぶん。


ただし、心の底から素晴らしいと言えるテクノロジーなど、現代には何一つ存在しないが故に。

dammy

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