「ハッカー論」として、少なくとも日本のインターネットで最も有名な文献は「ハッカーになろう How To Become A Hacker)」だと思います。まぁ、簡潔に言えば「ハッカーとクラッカーは違う」という例のアレの周辺でハッカーを語る文献なんですが、先に結論を書いておくと「この文献はもはや(部分的な話として)時代に即していないのではないか」という主張を行ってみたい。
最初に「当たり障りのある」ことを書いてしまったので続きとしてフォローを行っておきますが、僕自身も(少なくとも最初は)ああいう文章によってインターネットに触れた人間であるし、90%の部分で「正しい」ことを書かれていると思っています。
ハッカー精神は、ソフトウェアハッカー文化だけに限られたものではありません
何に対しても「ハッカー」でありたいと思う、それが「ハッカー」の第一条件なのだ、という。何故なら、「そこに山がある」ように
この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ
から(「というのを読んでたくせに何で貴様は今コレなのよ?」というのが突っ込みどころです)。
ハッカーとフリーカー(上記の文章にもある、電話ただがけで遊ぶ人)は違う。フリーキングだって、「電話」というブラックボックスを解析し「魅力的な問題」を突破する、という意味では面白い行為なんだと思う(僕は電話ネタはあんま興味がないので実際全然知らないんですが)。引用元にはそこまで書いてないけど、少なくとも僕はそう解釈している(ので、そもそもここに同意して貰えない人にはここから後は全く同意を貰えないと思います)。ただ、そこに留まることが悪なんだ。そこに留まって「違法行為」を行い、それしか行わないことが悪なんだ。「ハッカー」とは、電話というブラックボックスを解析し、そこから次の場所に進むクリエイティビティを持った人間なんだ。
tokix.netを開設したのが三年前で、まぁ「三年前の状況」であって「今の状況」ではないんだけど、僕はネットワークを語るためにLinuxとプログラミングを前提とする風潮に疑問を感じていた。当時、いわゆる「アングラサイト」は二極化していて、「バカでも分かるIria解説」的な初心者向けサイトとLinux系のネットワークヲタサイトしかなかった。・・・少なくとも、それが大半だった。
「果たして、そうでなくてはならないのか?」という感が非常に強くて、つまり「HTTPの仕組みなんかIriaを使っていれば覚えられるんじゃないか?」と。Iriaを使って様々なファイルを落としていれば「User-Agentを正しく設定しないと落とせないサイト」とか「標準入力を〜」とか色々なパターンに出くわす。その時に「これは一体なんなんだ?」とブラックボックスに挑む意志があれば、それは「ハッカー精神」なのではないか。「まぁよく分からないけど質問したら『こう設定しろ』と言われたのでそうしたら落とせたからハッピー」で終わることが「非ハッカー」なのではないか。
即ち、「ハッカー≠プログラマー」「ハッカー≠Linuxユーザー」でもいいのではないか?
かつて、プログラムはPCという機械を弄くるために必須なスキルだった。僕が初めて買った8bitマシンな某アレは電源を入れると「BASIC組め」という画面が表示された(という説明で「初めて買ったPCはWinマシン」という人に通じるかが謎なんだけど)。だから仕方がないから雑誌に載っていたプログラムを打ち込んでゲームを楽しみ、楽しんでいる間に「このシューティングゲーム難しいので自機を無限にしてみよう」とか改造を始め、自分で0からプログラムを組むようにもなった。その行為は「Iriaでダウンロードを行っている間にHTTPを覚えた」には似ているが、現在プログラムを0から覚えることと似ているか?現在「わざわざ」Linuxをインストールする行為と似ているか?・・・僕の話は別にどうでもいいんだけど、「偉大なる先人」達は「今わざわざWinを消す」のと似たような精神で第一歩を踏み出したのか?
プログラムに関して言うと、「サイト運営を始め掲示板CGIを設置した」らPerlを多少なりとも使える「べき」だと思う。何故かと言えば、そうでなければ、例えば「この掲示板に書き込むと俺のIPは閲覧者に抜かれるのか?」と不安に「ならねばならない」からだ。
プログラミングに限った話でもなく、ネットワークとかPCとかいうモノ自体がかつてとは状況を変えている。もはやバッファオーバーフローはヲタ知識に過ぎない。セキュリティ系の海外MLにでもいくつか入って、最新のセキュリティホール情報を逐一チェックしていれば「この場合はこれ」として「クラッキング」を行うことができるが、それはハッカー的ではない。街中の古い公衆電話を狙ってフリーキングを行う行為が「ハッカー的」でないように。
ここらへんの話は「ハッカーへの階段」さんが詳しいのでリンクで詳細は省略する。このへんの記事が特にオススメ。かつて、プログラミングは熱かった。何故なら、そこに解決を待っている問題がたくさんあったから。ハッカー精神を持った初心者が楽しめる舞台がそこにあったから(いや「ハッカーへの階段」の中の人は当時から全然初心者じゃなかったというか雲の上の人だったけど初心者も初心者なりに楽しめる舞台があった、の意味であり、その様子というか当時の状況を知るのに上のリンク先文献はとても面白いと思う、の意味)。「あったから」という過去形で、それでいいじゃないか。
「ハッカー=犯罪者」でないように、「ハッカー=善人」でもない、という前提で書いてきた。ので、そこに反論されると「それはこの記事の主旨ではない」としか返せないんだけど、「ハッカー的」とは例えば「自分の欲望に忠実であること」とか「ブラックボックスを覗きたいという欲望を持ち続けること」とか「時には箱を裏返してみる発想」とか「ある目的に対し最も簡単な手段を見つけ出す論理性」とか、そういう問題ではないのか?
Linuxやプログラミングは、それでもあるレベルにおいて必須スキルになるとは思う。でも昔と今では状況が違う。「まずプログラミングを覚えろ/まずWinを消せ」ではない。「あるレベルにおいて、プログラミング/Linuxは『ある目的に対する最も簡単な手段』になる、その時にプログラミング/Linuxを敬遠しない精神を持て」でしかないのではないか。昔ハッカー精神とプログラミングはニアリーイコールで結ばれた。でも、それはあくまで昔の話だ。WinでもGUIアプリでも、今は大抵のことが出来る(もちろんそれは「大抵」なのでこの段落の最初に繋がる)。それでいいじゃないか、と。
そして、「ハッカー精神」がプログラミングやLinuxの直接原因にならないように、その逆も然り。Linuxやプログラミングに携わる人間が全員「ハッカー精神」を持っているかと言えば、そんなことはない。少なくとも現状では、無い。
マイクロソフトが存在するずっと前からハッカー文化は存在したのですし、マイクロソフトが過去のものになるときも、なおハッカー文化は存在するのです。
いつの時代でも、マイクロソフトが過去のものになったときも、そしてもちろん「現在」でも、その「ハッカー文化」というのは存在するはずなんだ。即ち、ハッカーは「マイクロソフト」という具体的名詞と関連性のあるものではないし、Linuxやプログラミングという具体的名詞とも関連性がない。「かつてニアリーイコールだった」に過ぎない。
例えば僕は常に「ハッカー」を「教えて君」と対応させているけど、「厨房」は必ずしもハッカーとは対応しない。「自分の欲望に忠実であること」とか「ブラックボックスを覗きたいという欲望を持ち続けること」とか「時には箱を裏返してみる発想」とか「ある目的に対し最も簡単な手段を見つけ出す論理性」とか、そういうものは時に「厨房」になる。特に、「ハッカー」と「プログラマー」「Linuxユーザー」が分離した現在では。
「それは本来何なのか」ではない。「それを裏返すと何が出てくるか」だ。このサイトを始めるとき「プログラミングを前提にしない」とかと同じように決めたことは「(いわゆる)アングラツールを使わない」で、例えばIP抜きのためにパーソナルファイアーウォールを紹介してみよう、の意味(ぇー)。
例えば「裏返す」ということを知らない「スクリプト・キディ」が「これをしたいのでそのために作られたツール下さい」と言うことが「ハッカー的」でないように(ダウンローダーを設定弄って掲示板荒らしに応用するのは「面白い」が荒らしツールを使うのは「面白くない」)、犯罪者がハッカーではないように、そういった感覚を持っていないプログラマーやLinuxユーザーもまた、ハッカー的ではない。
・・・と、いうことで、当サイトは「教えて君」や「スクリプト・キディ」はアレですが厨房歓迎です(そんな結論かよ)。
という側面・・・つまり「ウイルスに感染しても自分はそんなに痛くない(感染することで自分もウイルスをばらまく側になるんだけど、それは自分からは見えにくい)」という側面・・・以外の、初心者がセキュリティ対策を行わない理由について。「ブラウザのJavaScript設定は常にオフで必要に応じてオンにする」なんてことを初心者に求めるのか?私は求めます。その人だけが被害を受けるなら自業自得ですが、ゾンビPCになられては周りに迷惑ですから。でも自分のPCがゾンビPCになっても、他人に掛けている迷惑は持ち主からは殆ど見えないので罪悪感を持つ事も無く、こうした説教は効かないんですよね。
RinRin王国さんの言及より
887 名無しさん@お腹いっぱい。まぁ、なんというか、そういう意図です(ぇー。
ttp://www.tokix.net/txt/000144.html
もはや初心者に理解出来る内容じゃないなw
「URLを細かく分割する」のところで逃げ出す奴が大勢いるだろう。
890 名無しさん@お腹いっぱい。
>>887
でもエロに関してのパワーはすごいぞ。
動機が動機なだけに理解するところまで頑張った人も多そうだw
例えば、僕は死んでもAntinnyとかに感染してHDD内ファイルをばらまく訳にはいかない。「ネトランライター(しかも『「ネットワークセキュリティ鉄壁ガイド」』とかいう連載までしてるヤツ)がAntinnyに感染して過去の原稿データとか公開してるよプゲラ」ってのはなかなかに面白いネタであり僕はクビになりこのドメインは消失し僕はtokixを消して別のHNで別のことをしなくてはいけなくなるからだ。ぶっちゃけた話、「(僕にとっての)ウイルスに感染すること」のリスクに比べればウイルス対策にかける金や時間など(多少人よりもかけているとはいえ)微々たるものであり、それをケチるのは割の悪いギャンブルであり、そんな場所で「ギャンブル」を行うのはただのバカだ。
価格コムのウイルス騒動で「自分らのセキュリティ対策には特に問題はなかった」とする価格コム側の論理に感染ユーザーは怒るかもしれない。「あぁ、たしかにお前らは大して損をしてないもんな!だからそんな態度のセキュリティ対策しかしないんだもんな!俺らはリネ2垢盗まれて大変だってのに!」。
価格コムがどのような経営を行っているのか知らないけれど、おそらく価格コムが今回の騒動で失ったであろう「信用」は金に換算可能であり、また失ったであろう「時間」も計測可能だろう。即ち、価格コムや類似サイトが「課題」とすべきは、「セキュリティ対策にかける費用」と「感染の危険度」と「感染時の損害」を今後どのような計算でどのような秤にかけるかであり、それ以上ではない。
個人レベルでも企業レベルでもいい。何故、セキュリティ対策が必要なのか。単純に言えば、ウイルスなどの悪意ある攻撃を成功させないためだ。では、何故それを成功させてはいけないのか。
OK。極めて道徳的な答えだ。niftyの案内ページで出てくる「ウイルス感染のリスク」も一番最初は「知り合いにウイルスメールを送ってしまいます」で、まとめが
自己の損害だけでなく、他者にも多大な迷惑をかけてしまいます!
だそうだから別に上の答えをする人は決してマイノリティではない。そして、だからこそ、「セキュリティ意識」などというものは川の向こう側で叫ばれる類の代物なのではないだろうか。
ウイルスに感染するリスクとは、下記です。
ウイルス感染時に貴方が失う金・時間はおそらくA円程度でしょう。アンチウイルスソフトは(パッケージ代・ライセンス更新料を考慮し)年間B円程度。一年間の間にウイルスに感染する可能性が(B÷A×100)%以下であればアンチウイルスは不要です。でも、残念ながら、貴方の環境・知識ではウイルスに感染する可能性は(B÷A×100)%を上回ります。故に、貴方はアンチウイルスソフトを導入すべきです。
以前全く関係なくプロテスタントのサイトを見たことがあるのだが、「何故クリスチャンは姦淫を禁止するのか」。このテーマを頭にたたき込んで以下の論理を。
駅前で路傍伝道などをしていますと、そのような男性が、通りすがりの女性に声をかけている姿をよく見かけます。そんな男性がある時、三浦さんにこんな質問をしたのだそうです。「こんな僕でもたった一人だけ手を出さなかった女性がいるのですよ。どうしてか分かりますか?」と。三浦さんは、「いいえ、分かりません。」と答えたそうです。するとその男性は、自分でその理由を、こんなふうに告白したそうです。「それは、僕がその女性を本当に愛していたからですよ。」と。
これは、とても考えさせられる言葉ではないでしょうか?現代はフリーセックスの時代だと言われます。そして、「結婚してなくても、愛していればセックスをしてもいい。愛し合っていれば肉体関係を持つのが当然。セックスをしないのは愛していない証拠だ。」などと本気で思っている方がほとんどではないかと思わされます。
(中略)
姦淫とは、結婚関係以外で性を用い、肉体関係を持つことです。そして、フリーセックスというのは、援助交際はもちろん、婚前交渉、売春、不倫、浮気など、性を結婚関係以外で用いることですから、まさに姦淫の罪を犯すことなのです。
教会に行ってクリスチャンになると、結婚関係以外で性を用いることが出来なくなる、フリーでなくなる、自由でなくなるので、クリスチャンになるのはいやだと仰る方が若い方に時々いるようです。
非常に正直な考えかもしれません。しかし、よくよく考えるならば、フリーセックスのフリーというのは、実は名前だけです。その実態は、欲望に支配された欲望の奴隷、罪の奴隷です。相手を自分の欲望を満たすための道具としてしか見れないほどに欲望の奴隷となっている人が行っているのがフリーセックスなのです。
どんなに愛し合っていても、結婚関係以外で性を用いるフリーセックスには本当の自由がありません。
別にこの文章の趣旨はプロテスタント批判ではないし僕にその意図は無い、ということを理解してくれると嬉しいんですが、これが「信仰」だ(「意図は無い」と書きつつそこを掘り下げるのはアレですが、これほどまでに「プロテスタント」というのは我々・・・という複数形を使って良いのか分からないが・・・とは「違う」。無宗教国家たる日本に暮らしていると「無宗教な我々が特殊、メリケンとかほとんどクリスチャン、そして別に俺らもメリケンもそんなに変わらん、なのでクリスチャンって別に俺らと大して変わらないんじゃね?」と思うかもしれませんが、正直、少なくとも「無宗教な日本人」「日本でクリスチャンをしている人」というレベルでは、それは違うぞ)(というのは別に「自分と違う人間はダメ」の意味ではなくて、単にそこに「川」があるということを書いている、つもり)(とか書くヘタレが運営するサイトへようこそ)。
この文章の前半に真剣に反発する「セキュリティ信者」というのは、つまるところ、この世に「本人が定義している(インターネット性善説的とかとリンクするタイプの)道徳的な意味でのセキュリティ意識を持つ人」「この文章の前半のようなことを言う/実践するヤツ(『でもね、そういう人もきっと心の奥底では気付いているはずなんです』)」「そういった意識について今までには考えたことがない人」の三種類しかいない(もっと言えば、「三種類がいる」)、と思っている人なんだ。それは決して「非難」されるべきことでもないし「非難」する資格のある人などきっといない。ただ、それが「信仰」であり「宗教」であり、「無宗教の人間に何かを理解させる(ないし当たり障りのある表現をすれば、強いる)」上で成立しない論理を唱えさせる要因でもあるはずなんだ。
最近のウイルスが何で「HDD内ファイルを公開」とか「クレジット情報を送信」とかになってるか知ってるか?ご存じのようにウイルスとはアンチウイルスメーカーがマッチポンプで作っている代物なんだけど、最近はインターネットユーザーが増えたせいで初心者(大して重要なデータなんか持ってない人)の割合が上がり、「HDDがフォーマットされる」とかいう攻撃では「リスク」が下がってしまうからなんだぜ?
「mixi非公開日記の画像を外部に晒す」に関して、一つだけ補足的に一般論を書いておきます。
エラーメッセージに余分な情報を込めるとクラックの糸口にされる
これは、まぁ、普通に正しい話だと思います。エラーはエラーであれば良く、わざわざエラーの詳しい理由を教える必要は全くない。極端なことを言えば、パスワードが間違っている場合は「ログインできません」とのみ表示すれば良く、「パスワードが●文字違ってます」などと教える必要は全くない(それはパスワードクラックしか誘発しない)。この延長線上として、mixiの非公開日記に関する仕様は非常に甘かった。で、まぁ、それは前提として、もう一つ同じような、今回の件で実は僕が一番「あああ・・・」と思った点に関する話を。
mixiの画像本体アドレスは
(画像ごとに固定された画像用サーバー).mixi.jp/p/(画像ごとに固定されておらず時間によって変化するランダムな文字列)/(時間と共に増えていく数字)/diary/(画像ごとに固定された数字)/(画像ごとに固定された数字)/(日記ID)_(画像を特定する数字).jpg
であり、つまるところ、これを単純なアドレスにすると外部からのブルートフォースに耐えられないので複雑化させてる訳ですが、はっきり言うと、ここに「日記ID」を含ませていることが、mixi管理サイドの決定的なセンス不足だ。
情報は、「繋がり」を持っている。プログラミングをよく知らない人向けに書いてみると
画像ID●●●はユーザーID●●●の日記ID●●●に含まれる
この、繋がり。これは基本的にはサーバーの内部プログラムで持たせるべき「繋がり」であり、まぁ「データベース」という言い方でいいか、データベース内で繋がりが定義されている。「内部」であるが故に、外部の人間、というか管理側以外の人間は、通常「繋がり」を知ることができない。
もし、画像本体のアドレスが
(画像ごとに固定された画像用サーバー).mixi.jp/p/(画像ごとに固定されておらず時間によって変化するランダムな文字列)/(時間と共に増えていく数字)/diary/(画像ごとに固定された数字)/(画像ごとに固定された数字)/(画像を特定する数字).jpg
であったらどうか。
おそらく、mixi管理サイドは前者の考えで画像本体アドレスに「日記ID」を含ませている。それが、明確に、センス不足だ。別に「この(特定の)攻撃を受けることを想定して〜」なんてことは言ってない。「何となく組んでみたプログラム」だったとしても、その出力に余分な情報(画像を特定するために、少なくとも日記IDは不要だ)を含ませているというセンス、の問題。ブルートフォースへの耐性を高めたいなら
画像ごとに固定されておらず時間によって変化するランダムな文字列
の桁数を増やすだけで、何故いけないんだ?
クラックとは、すべからく、「覗けない内部を推測するために外部から入力を行い出力を検証する」という行為に過ぎない。ここらへんに関して書いたのが「初級CGIクラックガイド」で、まぁ、なんていうか、2004年にMT化する以前に書き終わったコンテンツだったんだけどMT化後に途中までしかアップしてないことに今気付いた(年末年始にでも残りを再アップしますorz)。
「わざわざ」、画像本体アドレスとして、内部情報であるべき情報の繋がり(その画像が含まれている日記の日記ID)を出力する必要は、全く、無い。内部プログラムは情報を簡単に参照し、情報同士を簡単に繋げることができるが、それは基本的に外部から見えない。外部から見えるのは「自分が行った入力」と「出力」だけであり、情報とは、極論すれば全て、内部にのみ存在し、内部でのみ繋がっているべき存在だ(だからこそクラッカーは様々な工夫をこらし知恵を振り絞って「入力」「出力」から「内部の情報/内部での情報の繋がり」を探ろうとする、にも関わらずmixiの画像本体アドレスは「わざわざ」繋がりを教えてくれている)。
最初に話を戻すと、そもそも、「エラーメッセージ」も出力であり、「エラーメッセージを出力する」という事自体が
と教える行為である、とも言える。パスワードZIPってありますが、あれのセキュリティを更に高めるなら、パスワードが間違っていても解凍できるべきです。ただ、解凍しても正しいファイルが生成されない、と。・・・この例はあんま上手くないが、極端なことを言えばそういうことだ。それが現実的に不可能だから、現実的に実現できる最大限のセキュリティとして、
という形で出力を行わせているのが、「パスワードZIP」だ(故にあれはマジでブルートフォース以外の方法では破れない訳で)。
「日記ID」と「その日記を書いたユーザーのユーザーID」を繋げるのに僕は若干苦労した訳ですが、それ以前に「画像本体アドレス」と「その画像が含まれる日記の日記ID」は普通に(「アドレス内に普通に含まれている」という理由で)繋がっていた。そういうシステムを作ることこそが、ウェブサービスにとって非常に大きなセキュリティホールだ。と、僕は、思う(もちろん「多少苦労しただけで繋がってしまう」日記IDとユーザーIDも問題なんだけど、それ以前の問題として)。
物理的距離のない世界で、物理的距離に縛られている。例えば、「インターネットを使えば外国人と友達になれるからインターネットはすばらしい」という台詞は、だ。
23 名前: モデル(コネチカット州)
「本当は起きてたりしてw」
「キャハハ」
様々な言葉が書き込まれる中で上記23が「優勝」「お前がナンバーワンだ」という風に扱われるスレなんだが、いや、意味分かる?例えば3の「二人組み作ってー」と上記23との決定的な差、とか。正直僕にはよく分からない。君も分からないかもしれない。分からない、としても。
それで、ネットは、「暴力」なのかね?
ニコニコ動画で友達を作ろうとした韓国人は、「かわいそう」だ。例えば、人気MAD動画の作者と直接コンタクトを取ってトロイを仕込むなりして彼なり彼女なりが韓国人であることを暴き動画を荒らす……のとは、少し意味が違う。意味は多少違うけど、もちろん、「かわいそう」だ。
この世界で、物理的距離は大きな意味を持たないし、意味を喪失する方向へ、この世界は動いている。例えば、2ちゃんねるでも「はてな」でもいい。ある瞬間に自分の隣にいた人間は、実世界における同じアパートの住民かもしれないし、地球の裏側に住む日本語が堪能な白人かもしれない。その二者に差がないことが、現代の得たものであり、しかし、例えばネットゲーにおけるタイムラグといった「距離」を、我々はまだ持っている。
例えばネットの匿名性を、負の観点から語る人間の多くは、充足している。そして、「充足している」という意味において。
現代用語の基礎知識にも引かれる、地上波テレビなんかよりずっと正確であるところの「はてなキーワード」によると「リア充」の意味は
実際の現実の生活(リアル生活)が充実している人間のこと。ここで言う充実とは、端的に表すなら「コンパ・サークル活動」である。
だそうなので、微妙に、違う。そしてその「微妙な差」が、全てだ。リアルが充実していて、それで?
だから彼らには、ネットが、(リアルにおける)ルーザーのルーザーによるルーザーのための空間になる姿と、もしくは、デキる男のライフハックの情報収集の場になる姿しか、想像できない。そして、ぶっちゃけた話、多分現代という時代において、その観点はたぶん間違ってはいない。間違っていないが、僕は、違う。質の違う利益を、享受し、もしくは、いつか享受したいと思っている。きみは、どうだい?
ネットと共に世界を彷徨いたい。と、かなり前から漠然と考えている。イメージ的には、太陽電池で動く手の平サイズのガジェットを携帯し、ゲリラと農民しかいない村からでも物理的距離のない世界にアクセスできる、ような。
ある瞬間、僕はリアルでは広い世界の断片に、そして、ネットでは。
総合的に見れば、現代のネットは「リアルにプラスアルファをもたらすもの」「リアルを補完するもの」であるに過ぎない、のかもしれない。だがそれでも、現代のネットは、例えば
「本当は起きてたりしてw」
「キャハハ」
でトラウマが入るスレを形成する程度には、至っている。
33 名前: 天の声(兵庫県)
>>23
おまえ・・・
23と33はアパートの隣人かもしれないし、同じ県の住人かもしれないし、北海道人と沖縄人かも、ひょっとしたらアメリカ在住日本人とロシア在住日本人かもしれない。そのことを「すばらしい」と思えないなら、「ネットの友達募集サイトでアフリカ人のメル友作りました」という台詞に対してしか「すばらしい」と思えないなら。
「充足」したリアルで、ただ君はアフリカ人の友達を作ることはできなくて、「補完」の役割を担うネットにそれを求めている。それは「間違っている」行為ではないのかもしれないが、少なくとも質が違うものを、君は求めていない。そして他者にも君と同じであることを求めるなら、それは、時計の針を止める行為であるに過ぎない。
メル友がアフリカ人かどうかなんて、究極的には、どうでもいい。そしてもちろん、君の本名も、ね。
ステレオタイプに言えば、共存の道を探ることだ。「リアルとネットの」であり、それ以外の意味ではない。「ネットでは、ネットにおけるあらゆる距離を超えて、全ての人間が仲良く手を繋ぎましょう」では、ない。
例えば、リアルにおける自分の地位をネットに持ち込もうとするものや、他者にリアルで「充足」することを求めるものや、あらゆる種類の「リアルにおける距離」がネットにおいても永遠であると信じているもの。そういうものを。或いは、そういうものから。
相当昔から海外のクラック〜Warez掲示板に普通に英語で出入りしていた、人も、いるだろう。そして現在は、(日本の漫画やアニメで)日本語を学んだ外人が日本語の漫画〜アニメ掲示板に普通に紛れ込んでいるケースも少なくない、らしい(多いのかどうかすら何とも言えない程度に紛れている)。
ネットと共に世界を彷徨いたい。と、かなり前から漠然と考えている。究極的には、言語とか民族とか、そういうものが、この世界における最後の問題点となるんだろう。島国言語空間に閉じこもる人間が、最後の抵抗者となるんだろう。僕も君も、そこまで生きてはいないのかもしれないけれど。
だが少なくとも、ネットは既に時計の針を多少なりとも進めてきた。例えば、現代のネットは、彼女を、外人が自分の顔と拙い日本語で自己紹介ビデオを投稿する動画共有サイトへ誘導する程度に発達していなかったけれど(だから彼女は「かわいそう」だ)。