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Web2.0を腐らせたもの

割と骨幹となる部分で誤解を招く表記があった感に襲われたので7/24に追記を行いました。全文表示ページの、この部分と同じ囲みです。

あの頃と比べて、今の時代に欠けている物など何一つ存在しない。ただし、未来と比べて、現代に欠けている物は数え切れない程存在する。


テクノロジーは十分に発達した、というのは明確に誤解だ。ここらへんにおいて「最近の携帯電話は高機能すぎて昔は良かった」というタイプの人間とは、僕は根本的な部分において永遠に分かり合えないだろうと思う訳だけど、現代のテクノロジーはあるべき姿に対して、まぁ数%以下の発展度でしかなく、人類はいつまで雨の中を歩くために傘なんて物を使わなくてはならないのか、僕は自分事ながら不憫で仕方がない。


最近の携帯電話はPメールの時代から機能的な意味での進化を遂げ、ただし演算速度の進化速度が追いついていないためキーレスポンスの面で退化し、インターフェイスの洗練度も機能面の進化速度に追いついていない。ただ、それだけの、ことだ。



「Web2.0」という言葉がギーク層に一度受け入れられた理由の一つは、それが「十分な発達を遂げた未来」という共通の像を示す言葉だったからだ、と、僕は解釈している。現代が「数%程度」の、ゴミのような時代であったとしても、僕らは60年代終盤に「2001年宇宙の旅」を見た(人の中でSF映画そのものを憎んでいる人以外)、あるいは作った人々が、HALを見ていた程度に、十分に発達した未来を、見ている。それは価値観・各専門分野への知識・思考回路など各個人によって異なる揺れ幅を持った上でも、歴史上常に(「最近の○○は高機能すぎて」と言わない人の間で)そうであったように、ある程度狭いレンジに必然的に収まる「像」「共同幻想」であり、「Web2.0」という言葉は、少なくとも最初、それを示していた。はずだった。GoogleがWeb2.0の旗手である理由は、数%に過ぎない現代をコンマいくつでも、正しい方向性に向かって進める意図/意図を具現化する行動において、他の誰よりも確固たる存在だという点であり、言ってしまえば絶対量(Googleを含む全てが「ニアリーイコール0である」という点において等しい)の問題ではなく、角度の問題であった。はずだった。


1600x1200とかいうモニター解像度とCore2DuoのCPUは、明確に不十分だ。A3のPDFを見開き2P表示することすらできず(それをすると印刷時には読めるはずの文字が読めなくなる)、見開き20Pくらいを視点移動で眺めることなど夢のまた夢だ。紙なら当たり前のようにできている「ざーっと斜め読みする」「パラパラめくる」という面において現代のモニター/PC処理速度はゴミで、僕ら紙媒体のライターは結局PDFを紙に印刷して校正作業を行うことになる。理由は単純だ。12000x9000の丸めて持ち運べる携帯ディスプレイに見開き20P分ほどのPDFを表示し、瞬時に拡大縮小/スクロールを行うことが不可能だからだ。現代のテクノロジーが、ゴミだからだ。


ウェブサイトの生成するRSSとRSSリーダーがあれば新聞はもはや不要だ。と、言ってしまった。現代に存在するウェブサービスが素晴らしく、それこそが「あるべき姿」だと、言ってしまった。

それこそが、「未来」という共同幻想を曇らせた犯人だ。

※7/24追記

ここの記述に問題がある気がしてきた。「『自分にとって』新聞はもはや不要」と思うのはもちろん勝手です。収集する情報の種類やライフスタイルなど、個々人によって異なる条件次第で、その結論は出てくるでしょう。新聞もRSSリーダーもどちらも「不完全」であり、それでもある時代に生まれてきた僕らは止まり木を選ばなければならない以上。ここで書いている「新聞はもはや不要」は、「『この世界に』『自分と違う貴方にとって』新聞はもはや不要」の意味です。あと「言ってしまった」「思うのは」と動詞を使い分けてるのは無意味じゃないんだけど、これはとりあえずこの記事では省略。

……そして本音を言うとRSSリーダーは後述するような「ブレ」がかなり小さい技術(だと僕は思っている)なので、この記事で挙げるべき例として微妙に不適切なんですが一応このままで……。つまり、後述するような「ブレ」はあったって、「素晴らしき完全」でなくたって、その技術は「面白い」んだけど、それを、と。

だって、つまり、現代のテクノロジーはゴミだから。そこに「あるべき姿」なんて、見ることは不可能だから。「新聞はもはや不要」ならば、RSSリーダーは新聞以上の斜め読み性能とパラパラめくり性能と、あと、深夜にマシンの駆動音が鳴り響くのを嫌うけど朝は忙しいというサラリーマンにとっての情報収集性能を持っていなければならなくて、そんなことを現代のテクノロジーに期待するのは完全に不可能だから。


あの頃と比べて、今の時代に欠けている物など何一つ存在しない。ただし、未来と比べて、現代に欠けている物は数え切れない程存在する。だから僕らは、「最近の携帯電話は高機能すぎて〜」と言うか、もしくはいつか辿り着けるはずの頂上を目指して、様々な角度で、山を登っていくしかない。頂上は、共同幻想として、ある狭いレンジの中に存在するはずで、だ。

即ち、「Googleウェブ検索」のような、メイン登山路1合目手前にあることを、まぁ多分大半の人間は疑わないであろう極僅かな例外を除き、現代のテクノロジーはほぼ全て(「登る角度は無作為に決まっている」という条件下における確率的な問題から言っても)メイン登山路から外れた場所に存在するはずなのに、だ。


現代に、「面白い」テクノロジーは数多く存在する。角度のブレが0でないにしたって、「面白い」テクノロジーは。

だから、逆の言い方をすれば、「停滞」「下山」以外の行為は全て「面白い」し、「メイン登山路から出てはならない」と言うならば、この現代に存在するあらゆる物を、99%ほど破壊しなければならない。だろう?

たとえ89度ほどブレていたって、少しでも山を登れるものは「(少しは)面白い」し、この現代に生まれてしまった僕らが見ている未来は、人によってそれほど異なる物でもなく、「Web2.0」とかいう言葉を、かつて君が信じていたならば、それは、たぶん。


ただし、心の底から素晴らしいと言えるテクノロジーなど、現代には何一つ存在しないが故に。

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タモリのはげがなおるようになれば未来はみえるかなぁ

ブレイクスルーが足りない 2007/07/22 04:40:47

いくら食べて運動しなくても太らない薬、ができてしまったら某国人に世界の食糧を食い尽くされるだけだ!と気付きました。あぶなかった(なにが)

tokix 2007/07/25 01:45:06

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