「消費」のモンスター
「働いている10代の数」というのは、単純に言えば、三段階で変化する。
- 後進国
→働かないと生活が危ういので多い - 発展途上国
→まだ「消費」が確立されていないので、例えば日本の物価で数万を得たところで何も見えるものがなく、かといって「働かないと死ぬ」というのもないので、従って少ない - 先進国
→例えばポールスミスのパンツを買うために、もしくは冬休みにスキー旅行するためにマックでバイトする高校生がいるので多い
これは、単純な意味でのアイロニーでは、決して、ない。
中国の奥地で一日ガイドをしてくれた地元の農民は、別れ際に50元を請求した。日本円にして約800円。だが、そのことは本質ではない。中国の農民にとって800円は一日の収入と呼ぶに相応しい、つまり生活にとって十分な金額であり、それほどまでに日本と中国奥地の物価は違う……という、そのことも本質ではない。
そもそもにおいて、為替レートなんてのは、我々のような人間・我々とも違う人間……と、この世に存在するほぼ全ての人間の、想像を、遙かに超える存在だ。1ユーロ130円が160円になったことが、単純にヨーロッパの経済力やら何やらが2割強アップしたことを示さないってことくらい、誰にだって分かる。円が元に対して強いのは、日本国の経済力とも日本人の国際的地位とも君の金銭的価値ともダイレクトに直結する事象ではなく、しかしそれもまた本質ではない。
世界を彷徨った経験……とまで言わずとも、いわゆる観光ツアーとかグアムハワイとか以外の海外旅行をしたことがある人間は、おそらく一つの疑問にぶち当たる。「我々は、本当に豊かなのか」という、その疑問。……別に「経済発展によって失われた心」とか「人との絆」とかそんな話じゃない。具体的に書くなら、例えば衣食住の質。年収が10倍だったとしても、同じ質の物を手に入れるための物価が10倍なら豊かさは同じ、だろ?
年収300万円の人間は、世界でトップ10%に入る高収入者だ。
※参考
だがしかし、この日本において年収300万円の人間の生活はどうなのか。世界には、もっと広い家に住んで、日常的に美味しい食べ物を食べ、生地の良い服を着ている人間が山ほどいる。……それでも、この美しい日本に住んでいるだけで「豊かな人間」だって?
中国の奥地で一日ガイドをしてくれた地元の農民は、別れ際に「私は貴方に感謝している、しかし私はいくら払えば十分なのか分からない」と言う僕に対して、独り言のように計算を始めた。「(ガイド中に立て替えた)船の渡し賃が5元で……」。……そう、船の渡し賃などを立て替えて貰っていたので「50 元」は彼女の元に入る金ではないのだが、まぁそれは別にどうでも良くて、僕は昼に彼女の手料理を食べている。「……私が貴方に作った昼食が20元で……」。
この金額、「20元」は、おそらく、その町の中心部にある食事屋の相場に準じている。大体20元。
即ち、彼女の一日の労働は、彼女の家から自転車で行ける範囲での「普通の」外食2回分に相当する。
我々は、「豊か」な生活を保証されている人間ではない。「円が元に対して強い」即ち「為替レートで日本人の多くが超高収入者となる」というのは、例えば「海外旅行ができる」に繋がる事象であって(為替レート上で強い国の人間でないと海外旅行は難しい、故に例えば「中国人のバックパッカー」というのは実際あまりいない)、「衣食住が豊かであるか否か」という意味においては、少なくとも日本の「下層」は世界の上位10%に入るような生活を送ることなどできない。世界には、平均的な日本より美しい自然、アパートだか建て売りだかの日本住宅より住みやすい家、吉野家やコンビニより美味しい食事、ユニクロより良い服……そんなものがいくらだって転がっている。「それでも日本人である自分は豊かで幸せだ」なんてマジに思っているなら、せめてもう少し質の高い宗教をオススメするぜ?
我々は、「消費」のモンスターだ。
中国の農民にとって800円は一日の収入と呼ぶに相応しい、つまり生活にとって十分な金額なのだろう。それは即ち、彼女の生活には「消費」という行為がほぼ存在しないという事実を示す。自転車で行ける範囲のレストラン、その周りにある洋服屋、別に海外に限らず国内旅行(俺はつい会話の中で「広州に行ったことある?」と聞いてしまい、その日の夜にそのことを後悔した)……といった、「消費」という行為を、彼女は「ほぼ」有していない。吉野家やスターバックス、ユニクロに無印、TSUTAYAにCD映画DVDといった、年収300万だろうが1000万だろうが、そういう階層構造とも関係がなく日本人の生活に根を張っている……というか日本人の生活ほぼそのものである、「消費」という行為を、だ。
「消費」というパワーにおいて、日本人(のほぼ全て)と彼女の間には、何によっても埋めることのできない、圧倒的な差がある。
中国の都市は、その多くが、東京型の都市ではない。これは、まぁ、正直他の日本人の受け売りですが、三重県四日市市に近しい。つまり、田舎からの出稼ぎを受け入れる工場エリア。その出稼ぎ労働者のための商業施設。その集合体であって、まだ「消費」という、その段階に達していない。
……いわゆるステレオタイプな中国人差別像というのは、おそらくここらへんにも原因があって(別に「それが全て」とかは言ってない)、実際のところ、たとえばShareでDVDISO落としてるだけじゃ所有欲満たせないからパルプフィクションだけは正規品コレクターボックス買おう……というのは、完全なる、他の何でもなく「消費」なんすよね。ま、別にマジな話で悪口じゃないですけど、「まだその段階に達していない」。
日本人は、多分「日本人である」という時点で「豊か」なのではない。
ただ、我々は、「日本人である」という時点で、「消費」のモンスターなんだ。生活そのものが「消費」となる、超高度資本主義社会の住民であるという点において、日本人は最低でも世界10%程度、平均サラリーマンで世界1%程度を保証されている。この国では、高校生がポールスミスのパンツを買うためにマックでバイトをしている。これは、単純な意味でのアイロニーでは、決して、ない。
……ちなみに、(50元≒)800円x300日=年収24万円は、世界のトップ16%程度で、ある。
「消費」という行為を、彼女は「ほぼ」有していない。

TrackBack
この記事へのトラックバック