マッシュアップの「敵」の定義
確認しておこう。
人は本質的には所有欲を持っている。別にそれは悪いことではなく当たり前のことで、例えばイラストレーター系の個人サイトから画像を取得し一覧表示するサービスが(法的問題以前に)叩かれるのは「当たり前」だ。
「マッシュアップ」とは、いわばこの常識の破壊でもある。つまり、Googleマップは、それが短期的に自分への利益を生まず損失(サーバー負荷)のみを生むにしてもAPIを公開しこういうサービスを成立させている。その長期的視野なり思想なりが「マッシュアップ」と呼ばれる概念に他ならない。
だからマッシュアップは現代インターネットの唯一の常識ではない。「今はマッシュアップ時代なんだからお前の書いた絵で俺がどんなサービスを動かそうが勝手だ」は通らない。
それに乗るか乗らないか。その選択肢が存在している、という、このことを確認しておこう。
「はてな」はたしかに何も生んでいない。例えばソーシャルブックマークサービスは他人のウェブページを羅列したサービスであって、「はてな」が生んだコンテンツなど何一つ存在しない。けれど、「はてな」は他人(コンテンツ制作者)に依存してサービスを動かすのと同時に、他人を依存させている(例えばAPIの公開)。だから「はてな」は、この時代に存在するサービスとして「悪」でも「ゴミ」でもない。
一般論としていえば、いわゆる「PC上級者」はコマンドラインオプションのあるツール・コマンドラインで動かすツールを好みます。何故かといえば、「連携」が可能だから。ツール起動してツール上でzipファイル選ばないと解凍できない解凍ツールより「送る」やドラッグ&ドロップで解凍できるツールの方が便利で、その延長線上の「連携」を求める思想。いわば、オフラインのマッシュアップ。
別の言い方をすれば、マッシュアップとはウェブにおける連携の概念。川の流れのように、データを流れさせる概念。その概念がウェブに拡大されたことが「今日的」とか「Web2.0」とかいう話であり、今存在しているのは、川に身を投じるか投じないかという、その選択だ。
川・・・これは「ウェブサービス」のみを指すのではなく「連携」の意味・・・に身を投じ、他人のサービスに依存し、他人を依存させない。それこそが、この時代の「敵」だ。他人を川の上流と見なし、しかし自分は川の最下流であるという主張を行う存在が、だ。川に飛び込んだなら、己の川における位置を主張することはできない(「俺は最下流にはならんしょー」という主張は可能だけど)。
APIの公開は「一機能」に過ぎない。別にページを取得しHTMLを解析するツールくらい、APIがなくたって組める。「API」のイニシアチブは提供者でなく利用者であって、いってしまえばAPIとは「HTMLを取得されると負荷がヤバいんでこうして下さい」「しかもほら、こっちのが便利でしょ?」という提案に過ぎない。
逆に言えば、APIの提供は「義務」とはならない。APIがなければ勝手にページを取得すればいい。「川に身を投じている相手に対して」それを行うことは悪でも何でもない。・・・いわゆる「RSSを配信してないサイトを解析し勝手にRSSを作成」系は、この意味で微妙だ(そのサイトは「川に身を投じている」のか?個人イラストレーターのケースと違うのか?)。ただ別にそこら辺の人を怒らせる気は毛頭ないし「皆が取得するより誰かが代表して取得してRSS作って皆に撒いた方がベターですよね!」と、つまりここまでの話とは全く別の次元の問題ですよね、・・・と言っておきます。
この時代の「敵」とは、他人のサービスに依存し、しかし他人を自分に依存させないという強い意志を持ってサービスを動かす人間に他ならない。もう一度書くが、APIとかRSSとか、そもそもウェブとかいう限定的な話ではなく、「連携」の話。他人に依存しながら、他人を「自分の上流にいる存在」と見なしながら、他人に依存されにくいHTMLを吐く人間・URLリストに過ぎないRSSを「自分のサイト内ページに人をアクセスさせるための道具」と見なす人間こそが、この時代の「敵」だ。

TrackBack
この記事へのトラックバック